soueggs’s diary

社会不適合者たちの駄文交換会

射幸心と僕

やることがない休日は、ひがな一日ジャグラーを打っている。

ジャグラーというのは、いわゆるスロット台の一種だ。

1枚20円のコインを借り出し、3枚かける。

3つのボタンを押して絵柄を揃える。それの繰り返し。

余計な演出などはなく、盤面のランプが点灯すれば当たりというシンプルさがジャグラーの魅力だ。

 

 

押す、押す、押す。はずれ。

押す、押す、押す。はずれ。

押す、押す、押す。リプレイ。

押す、押す、押す。小役。

押す、押す、押す。はずれ。

押す、押す、押す。はずれ。

押す、押す、押す。はずれ。

 

ランプが光ると、7の絵柄を揃えることができる。

777が揃えば、BIG当たり。300枚超のコインが排出される。

77BARが揃うと、REG当たり。120枚ほどのコインが排出される。

 

 

押す、押す、押す。はずれ。

押す、押す、押す。はずれ。

押す、押す、押す。リプレイ。

押す、押す、押す。小役。

押す、押す、押す…ランプが光る。

慎重に7を揃える。BIG当たり。

扇情的で陳腐な音楽とともに、コインが排出される。

 

 

その光るランプを見るためだけに、僕はこの一連の動作を繰り返している。

一日に、多くて6000回ほど、繰り返す。

いい台に座れば、1日に60回前後はランプの点灯を見ることができた。

それが楽しくて、楽しくて、僕はボタンを押し続ける。

 

 

どう考えても正気の沙汰じゃない。

人間活動とは、もっと生産的なものではなかったか。

 

 

 

しかし、僕はその行為をやめない。

無意味な行動の反復は、やがて人の意識を低下させる。

何も考えずに、いや、何も考えられずに、ただボタンを押し続ける。

もともと空っぽの脳に、さらなる虚無を押し込む作業。

呪術に詳しい専門家は、その状態を「トランス」と呼ぶ。

 

 

押す、押す、押す。はずれ。

押す、押す、押す。はずれ。

押す、押す、押す。リプレイ。

押す、押す、押す。リプレイ。

押す、押す、押す。小役。

押す、押す、押す。はずれ。

押す、押す、押す。小役。

押す、押す、押す。リプレイ。

押す、押す、押す。はずれ。

押す、押す、押す。はずれ。

押す、押す、押す。はずれ。

押す、押す、押す。はずれ。

押す、押す、押す…

 

ペカッ!!!!

 

 

 

視覚と意識が揺さぶられ、突然現実に引き戻される。

紫がかったランプが点滅している。プレミア演出だ。

 

ふと隣の台を見ると、大学生くらいだろうか、煙草をくわえてスロットに興じていた青年と目が合った。

 

「うわ、ランプの点滅、初めて見ました。写メっていいですか?」

 

元来人懐っこい性格なのであろう彼は、僕に笑顔でそう告げる。彼が点滅するランプにスマホを向けた瞬間、僕は目撃した。少し緩めなTシャツの胸元から、かわいいかわいい、それはかわいらしいピンク色の乳首がのぞいていた。

 

 

ペカッ!!!!

ペカッ!!!!ペカペカペカッ!!!!

 

 

突然、僕の脳内に灯るGOGOランプ。

 

「この子の、この子のッ!

この子の、乳首を、押したいッッッ!

押して、ネジネジしたいッ!!」

 

トランス状態からの突然の乳首だ。僕がそう思ってしまったのは無理もないだろう。

 

 

押す、押す、押す。射精!

押す、押す、押す。射精!

押す、右乳首押す、右乳首押すッ!射精!

 

 

脳内で散々舐り倒したのち、螻蛄街道をゆっくりと僕は歩いていた。

 

 

 

【3号】

夜の底が桃色になった

 

はなの下 春のしわざで 染まる頬

 

なんて臭い句でも詠みたくなるような季節がやって来たね。これは『季刊 メメント・モリ』に掲載された読者投稿の句なんだけど、解説者の評を引用すれば

これを詠んだ者は現代に蘇りし在原業平と呼んでも過言ではない。恋人未満の二人が花見を楽しんでいる情景がまず思い浮かぶ。周りには大勢の会社の仲間がいるのかもしれないが、作者はそんな騒音そっちのけで気になる人を見つめている。初句の「はなの下」は、「花の下」と「鼻の下」が掛詞になっている。桜の木の下で鼻の下を伸ばしている男の下心が窺うことができ、句全体に漂う初々しさに加え、「性」の匂いをほのかに醸し出すことに成功している。 「春のしわざで 染まる頬」の部分は、花見の席でのお酒によるものなのか、桜の色が頬にも反射しているのか、それとも恋心によるものなのか判然としない(または、すべてが原因かもしれない)頬の赤らみを、「春のしわざ」の一言に集約しているところに、作者の底力が感じられる。まるで春がイタズラをしているようだ。また頬を染めているのが作者なのか、それとも作者の恋している相手なのかを敢えて排しているところも評価◎。(『季刊 メメント・モリ』第21号 p104 リトルモヤモヤ社)

とさ。解説の熱量に正直ドン引きだし、在原業平は短歌の人だろ禿げなんて思った。詠んだ本人はきっとトイレでうんこでもしながら「あ、この句よさげ」なんてひらめいたに違いない。「すなわち、便所は宇宙である」なぁなんて、ジャックナイフみたいなことを思いながら、ブログを更新しているのは、わたくし1号だよ。どうぞよろしく。

 

さて、漠然とした不安なるものを9号とか3号とかが語っていたけど、私の最近感じた不安はというと「友達いない問題」である。年齢特有のものではないけど、3号の言葉を借りれば、「”かくあるべし”との乖離からくるもの」に分類していいと思う。本当にこんな風に過ごしていてよいのだろうかと思うときが稀によくある。

 

先日こんなことがあった。

行きつけのバーに入店した私は、いつものようにカウンター席に腰かけた。ボックス席の方に目をやるとグループが二つ。男女混合の同い年5人組グループ、同じく五人組同い年の女子会グループ。その光景を目にした私は「いいなぁ・・・」と、本当に意識の外で口に出してしまっていた。

私の心に深く突き刺さったのは「グループ」というよりもむしろ、「同い年」というワードである。not so much グループ as 同い年。同い年 rather than グループ。これ、入試に出るぞ~。同じ年齢の知り合いたちが酒を囲みわいわい楽しんでいる中、私は一人でカウンター席でコーヒーを啜る。いや~さびしかった~。厭世に拍車がかかった~。

 

また、SNSで「酔っぱらったけど、楽しかった!」みたいな花見の写真が、よくうpされているのを見て、「綺麗~」とかコメントしたり、「いいね」と♥を残したりしつつも、私の心はざわ…ざわざわ…とサメ肌なるわけです。でも本当は、(花見ができる友達がたくさんいて)いいね!!!!とか、酔っぱらった「けど」じゃねえ!酔っぱらった「から」楽しかったんだろ!!!とか、心が叫びたがってるんだ。

 

桜さえなければこんな思いしなくていいのに…桜さえなければ枕を濡らすこともないのに…桜さえなければ…

 

世の中に たえてさくらのなかりせば 春の心はのどけからまし

(『古今和歌集』)

 

【1号】

その不安すら抱きしめて

前回断念した、9号嬢からのテーマ「30代目前の悩みとは」について、改めて拙い寄稿を試みます。

しばしのあいだ、お目汚しを失礼いたします。

 

さて、そもそも我々が持つという”漠然とした不安”、その正体はいったいなんなのか。

世代病だとか、そういうお年頃だから、というのはいささか雑な三味線ではないだろうか。

その不安は、ときに人を自殺に追い込むこともある。

その不安は、ときに関係のない人々を傷つける恐れもある。

「そういうもんだ」と切り捨てるには、少々やっかいすぎる案件なのだ。

 

もちろん、不安を抱えることは、悪いことではない。

思春期が特有の悩みを経て、大人の仲間入りをするのであれば、この不安は20代→30代とライフステージが変わる上で必然のことなのかもしれない。まだ子どもだなんて口が裂けても言えない、そういう年齢に達した我々が、もうひと段階成熟しましょうよ、という、その入り口での不安である。

 

「そういう蘊蓄は重々承知してるんだけど…私が聞きたいのは解決策なの、わかる?」

 

おっと失礼、ごもっともだ。こんなの、保健の教科書を穴があくまで熟読したあなた方には必要のない話だろう。

僕はこういう形而上の話題を進めていく場合、ケーススタディという方法を取り入れるのが好きだし、有益だと考えている。以下、我々世代が陥りがちな悩みについて具体例を挙げ、個別に解析していくことで、何かしらの展望が見えればよいなと思う。

 

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【case1:なんか下半身の元気がなくなりました(都内在住/28歳男性)】

 

やっぱまず思い浮かぶのはチンポの話っすよね。チンポ。そう、おちんちんのことだよ!! 

30歳を目前に思い起こすことなんて、もう、それしかないってか、それ以外に何かある?ぐらいの感じですよね!

とりわけ20前半のころと比べて気になるのが、チンポライズ問題です。

 

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[チンポライズ問題(ちんぽらいず-もんだい/chinpo-rise problem)]

チンポの勃起力低下、あるいは柔軟化にまつわる諸問題のこと。

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2号氏のくだんのツイートを僕はついに発見すること能わずだったのですが、そんなもの探すまでもなく、我々世代の男性のほぼ8割が気にしている案件です。その証拠に、「チンポライズ」で検索をかけてみると、ほぼ上位にこのブログが出てきます。おい、みんな喜べ、新語が生まれたぜ!!

 

思うに、30歳なんて遠い未来であった中学時代から、この問題は囁かれておりました。

 

「なぁなぁ、手のひらを垂直にして、指広げてみろよ。親指が10代、人差し指が20代、中指が30代の勃起の角度を示しとるんじゃ」

 

そういう言説を、聡明な皆さまのことですから、一度は耳にされてるかと思います。

 

「なんぞこれwwwおまww30代なんて平行棒やないかwwwwこんなん二本並んだら内村航平氏が間違えて演技してしまうレベルやないかwwwwwこれ握って前方かかえ込み宙返り1/2ひねり後方かかえ込み宙返り下りとかカマされたらもうすんごぃいいぃい!!それすんごぃいいぃいぃぃのぉおおお!!」

 

とか思ってましたよね、みんな。毎朝毎晩誇らしげに天を仰ぐ自らの勃起物が平行棒になるなんて、質の悪い都市伝説くらいにしか感じていなかったように思います。ところがどうか。いざこの歳になると、あながち間違ってないと感じるのは、きっと僕だけではないはず。もちろん今でもささいなことで勃っちゃう愚息ですし、もちろんそれなりに漲っているのだけど、10代のときのテポドンに比べるとやはり元気さはなくなったと言わざるをえない。

 

そういえば、まぁ、よくある話で恐縮なのですが、こないだひょんなことから10代男子のチンポとのふれあいコーナーが始まりましてね。飲みの席の悪ノリで、だっせぇトランクスからボロンッと出てきたイケメン芋虫くんを、頭パリピなチャンネーが2シコリしたところですね。

 

もうね、風船かと。

 

さらに2シコリすれば、もうチンポが、爆発してしまうんじゃないかと。

 

これ危険物やぞ、と。

 

その場に居合わせた皆が、テロ警戒レベル4を辞さない、その漲り、その勢い。あわや飲み屋がベルギーの空港になるんじゃないかと思ったほど、ギャンと上を向くオチンピス。

 

ほんで、おもしろがって、そのチンポを少し押さえつけて、手を離せば、勢いよく腹にビッタン!いや、ビッターンッッ!!すげぇー!!10代チンポすげぇええぇ!!!!ビッターンッ!!ゲラゲラゲラゲラ!ビッターンッッ!!!チンポビッターンッッ!!!!!

 

これが若さなのだと、懐かしい気持ちになりながら、そのチンポマドラーで混ぜた酒を飲まされておりました。

 

 

さて、その一方で自分の息子はどうでしょう。

胸に、いや、股間に手を当てて考えてみると、思い当たる過去の不祥事。

例のごとくベロンベロンでベッドインした瞬間は興奮でCRギンギラパラダイスだった私のおにんにん。その勢いでいざ挿入、というときになって「ん?あれ?どした?」と。でもまぁ、平成の諸葛亮という異名をもつ僕は決して慌てない。すました顔で「ほれ、エロいやろ」とばかりに半勃起のチンポでmansuzi先生を二三往復なぞるという、僕の中でのガン立ち王道パターンを試みます。ところが、やっぱなんかいつもと違う。よ、よし、作戦変更、口回りがぐっちょぐちょになるほどのハイパーローリングベロちゅーをカマす。これよ、これ。強者は次の次まで策を講じているもの。ほれほれ、股間に開戦ののろしが上がったわい…と、ようやく元気を出してきた息子を挿入するも、体位変更の際に再び元気をなくす、ということがありました。我が城、あっさり陥落。このときの「ごめん」は、俺史のなかでもかなり本気の部類に入る。

 

長々と書いたけども、専門家が言うところのいわゆる「中折れ」と呼ばれる現象である。

誰しも一度は経験があるだろう…え、あるよね…?俺だけじゃないよね…?

 

 

以上、「昔より元気なくなったなぁ」という案件こそ、我々アラサーが抱える悩みの旗手であると思う。

この手の問題は、身体的な老化に端を発する。経年劣化、のようなものだ。その他の理由として、喫煙や不摂生、普通のセックスで興奮できなくなった、などが考えられるが、ややこしくなるのでやめとく。

解決策としては、体の若さを維持する努力(摂生やトレーニングなど)を惜しまない、もしくはマカを飲む、そして最終的にはサクッとバイアグラに頼ればよい。

いずれにせよ、体力的なものの低下は、心の元気も奪う可能性がある。昔のようにはいられないのは当然なのだけど、多少のアンチエイジングを考えてみるのも大切なのでしょう。

 

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【case2:結婚という見えないプレッシャーに押しつぶされそう(都内在住/28歳男性)】

 

僕たち世代のとりわけ女性におかれましては、結婚について思い悩む方が多いのではないでしょうか。

友人たちが続々と巣立ってゆき、どこかおいていかれる気持ちになったり、その後控えている「出産」を考えてもそろそろどうにかしなければ…。テレビを見るとやれ婚活だの相席屋だゼクシィだの。それらからくるプレッシャーは想像に難くない。わかる、わかるよ?

 

これについて、男性視点から問題視されるのがいわゆる「ウゼクシィ問題」です。

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[ウゼクシィ問題(うぜくしぃ-もんだい/anti-zexy problem)]

切羽詰まった彼女が、遠回しに結婚を匂わせてくる行為やそれにまつわる諸問題。

例えば、一緒に行ったコンビニでこれみよがしにゼクシィ立ち読みしだす、あるいはテーブルの上にこれみよがしにゼクシィを置いておく、子どもってかわいいよねとか言い出す、など。

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もちろん、女性サイドの結婚拒絶の例も大いにあると思いますが、とはいえ、もうちょっと遊んでたいというのが多くのアラサー男子たちの本懐。あるいは、まだ結婚する準備整ってないし、現実的に考えられないよね、なんて声も漏れ聞こえております。そんなタイミングを見定めようとする男性たちに対して、彼女たちは容赦なく「結婚」という二文字ナイフを喉元に突きつけてくる。これについては、もう、ウゼェとしか、ね。

 

相手が誰であれ、そもそも結婚する気がない、そんな男たちにどうして”事実婚”という選択をさせてくれないのか!

そもそも、結婚に幸せを見いだせる人間とそうでない人間がいるわけで、後者である僕は「独身大国フランス」という武器を手に、これからも戦ってゆく所存です。

 

あと、すこし話はそれますが、これは重要かつ切実な言及だと思うので、勝手にツイートをコピペします。とりちゃん、すまん。

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「自分4年前くらいから3カ月に一度くらいのスパンで結婚式出てて、自分の身なりが小汚いのそのせいやんということにようやく気づいた。そんな本気のご祝儀貧乏を嘆いていたら、所帯持ちの友人から「大丈夫、自分の結婚式のときに全部返ってくるって」となだめられて生涯独身だと何も返ってこないってことに初めて気づいた。そんで生涯独身だとご祝儀返ってこないことを本気で嘆いていたら、「可哀想に。せめて独身で還暦迎えた時に今まで払った分がお祝いとして返ってくるシステムができたらいいのにね」と言われた。まじで一人で60年間生き抜いてきたっていうのはお二人の人生の新たな門出と同じくらいめでたいことだと思うんだよね。だからみんな私が還暦迎えたら3万ずつくれよ。頼むよ。」

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こういうの得意なのは社民党あたりですかね。早急にご検討のほど、どうぞよろしくおなしゃす。

  

 

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【case3:うわ…私の年収、低すぎ?(誇大広告の女性)】

 

収入、あるいは貯金額というのも、我々世代の重要な関心事のひとつです。

友人の懐具合が気になったり、働くわりにもらえる額少ないなと思ったり。もちろん金銭の多寡に付随して、自分の職業人としての能力や、今後の展望(会社の行く先および自分の役職など)に不安があるという人も多いのでは。ひいては、私のやりたかったことはコレじゃないとか、転職を考える機会は今かも、なんて事例に飛び火したりします。

 

これについてはもう十把一絡げにまとめることが不可能ですし、各々の事情でまるっきり話が変わってくるので、各位、真剣に向き合っていきましょう。いくんですが、これについてもひとつ問題提起を。

 

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意識高い系問題(いしきたかいけい-もんだい/awareness problem)]

自己啓発など、自分磨きに精を出し、やたらと前のめりに人生を送っている若者たちにまつわる諸問題。

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これについてはあえて僕が語らなくとも多方面で指摘されている現象ですので、あとは国会が動くのを待つばかりなのですが。

 

 

マジでセミナーとかに呼ばないで!!!!!!アピールとかいいから、黙って粛々とMBAとか取得すればいいんじゃないですかぁ!?ショーンマクアードル川上さんみたいによぉ!!?

 

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他にもいろいろあるのですが、とりあえずケーススタディは飽きたのでこのへんでまとめに入ります。

我々の「漠然とした不安」の正体は、大きく分けて2つの原因があります。

 

① 身体の老いからくるもの(case1の類)

② ”かくあるべし”との乖離からくるもの(case2,3の類)

 

①は比較的わかりやすい反面、この先さらに年を取ることで、どんどん顕在化、悪化する可能性があります。

②についてやや補足すると、僕たちは往々にして「他者との比較」をしてしまうやっかいな病を持っています。それに対して「NO!」とは言わないまでも「我関せず」を貫く傲慢さ。そういうものを手に入れたときに、僕たちそれぞれの尺度で、それぞれの人生の指針が見えてくるのではないでしょうか。それがいいかどうかはわかりませんが。

 

こと自分に関しては、人生とはかくあるべし、のようなものがだいぶなくなってしまったように思います。型通りのセックスうんぬん、結婚うんぬん、就業形態うんぬんなど、世間の「かくあるべし」からのプレッシャーに強くなった。というか、平均的な人生とか、他人はこうだからとか、そういうフィルターがぶっ壊れてしまいました。もしかしたら、盲目的に信じられるものが何もなくなってしまったのかもしれません。このへんの話は、宮台真司さんのミクロコスモス論以降、物差しの多様化なんて方面で語られるようですが、そのへんは1号のほうが詳しそうなのでそちらの論を待ちたいと思います。

 

ともあれ、前回の9号さんの記事で、身の丈、という言葉が出てきましたが、その身の丈の計り方を考えるのが今ではないでしょうか。「どうせ俺にはできないだろう」という諦めの身の丈ではなく「やったけどできんかったわ!」という身の丈の話ができるようになりたいものです。

 

「チンポ押さえたけど、もう全然びったーんってならんかったwww ”ペチンッ”くらいやったわwwww」

 

って話が、僕は、したいのです。その不安を抱きしめながら。

 

 

【3号】

消える。

ほら、僕って昔から長文なとこあるじゃないですか。

30代のチンポライズ問題について嬉々としてブラウザで書いてたら、5000字くらい書いたところで全消去しちゃってこのザマですよね。

だから、ほら、mixiとか書いてたころみたいに、いったんテキストエディタとかで保存しながら書いてからの、ブラウザに貼り付けて投稿、みたいなのがいいと思いますよ。こういうの久しぶりで、ほんと、オナニーしたあとの解脱感、みたいなのなう。

もう今日は書かない。

 

【3号】

新説『赤い実はじけた』追補編

皆さんは『赤い実はじけた』という小説をご存知だろうか。

思春期の心の動きを、赤い実が「パチン」とはじけるという色彩豊かな鮮烈さをもって描いたこの小説は、ほんの数年前まで小学校の教科書に採用されていたこともあり、印象に残っている方も多いはずだ。

しかしながら、作者の名木田恵子が、この10ページに満たない、だが美しい物語を書くにあたって、実に4,000枚に及ぶ膨大な設定資料を作成していたことは一般にはあまり知られてはいない。

我々のよく知る6年生の綾子ちゃんと魚屋の哲夫の物語は、『赤い実はじけたサーガ』とでも呼ぶべき壮大なる歴史譚の、実はほんの一部でしかなかったのである。

設定資料はこんな一文で始まっている。
「小説を書くのに宇宙のなりたちから語る必要はない。しかし私はあえてそれをやってみたい」
この言葉通り、名木田は原子核合成やビッグバン理論、ひいてはフリードマン宇宙論の独自解釈など、冒頭から異様な偏執を見せている。

生命の萌芽、いくつかの文明の勃興なども同様に、恐ろしいまでの想像力とおびただしい量の参考文献とともに語られる。

そのようにしてやがて近現代の世界への言及が為されていく。成熟した国家の誕生、避けることのできない戦争などほとんどの事柄が現実の歴史を踏襲しているが、ここで非常に興味深い変化が訪れる。

なんと、『赤い実はじけた』の設定上の地球はこのとき一度滅亡しているのだ!

資料中のおおまかな年表によれば、この滅亡は、綾子が魚屋の哲夫に「パチン」となる8,000年ほど前の出来事であった。

滅亡の原因は地殻変動によるポールシフト現象と、それによる壊滅的な異常気象(それぞれ“イザナミ”“イザナギ”と名づけられている)となっており、これにより地球上の生物の90パーセントが死滅したという。

残されたわずかな人類は絶望の縁に立たされ、深刻な食料不足から互いに奪いあい殺しあった。
名木田曰く、「人は人であるがゆえに慈しみ愛し合うが、人を人たらしめる人間性は狂気と野蛮さに血塗られている」。

彼らはどのように生き延びたのか?

彼らを暴力と死の連鎖に追いやったのは飢餓と不安からくる“恐怖”であった。

当時人類史上最大の発明と呼ばれた、医療用ナノマシン移植技術。
資料によると、人体に移植されたナノマシンは有機代謝により半永久的に自己増殖・修復が行えるほか、脊髄系に移植することにより“感情の機械的なコントロール”ができたという。

個人の尊厳や生命の定義を侵す恐れのあったナノマシン技術を、人類は“恐怖”を克服するため、このときはじめて使用することとなる。

そしてそれは恐怖のみならず人間的な感情のほぼ全てを抑制してしまう諸刃の剣だった。

人類は生きるため、自らの人間性を剥ぎ取る道を選ばざるをえなかったのである。

しかし、希望は残っていた。

前文明最後のナノマシン研究者、ポール・ライトマン博士は“人間性”と呼ぶべき感情の成り立ちの基本構造を解析し、データベースとしてナノマシンに転写することに成功したのである。

人間性を転写されたナノマシンは、感情抑制体とは別機構として人体に組み込まれることとなった。

イトマン博士は、いつの日か人類が危機を脱し抑制体の制止を振り切って豊かな感情の波に身をゆだねられる環境が訪れたとき、はじめて転写体が作用するよう設計した。

イトマン博士が人間性を保存したナノマシン集合体を、“レッドオーブ”つまり“赤い実”と名づけたのは言うまでもない。

そうして人類は世代ごとにナノマシン移植を繰り返し、人間性の鮮やかな爆弾を抱えた屍となって未曾有の大災害を生き抜いたのだ。

ここであらためて本編を読んでみたい。
綾子が暮らす地球の環境は災害前と変わった様子はない。人が人として平和に暮らすのに適した環境と言えよう。

綾子はおつかいに出た先で、魚屋の哲夫と出会い、きらきらと目を輝かせて夢を語る彼を見て、「パチン」と内なる大きな音を聞く。

綾子が体験した淡くしかし熱い感情の発芽は、誰もが一度は経験し、すぐに忘れてしまうものかもしれない。
しかしそれこそが、人が人として数千、数万年と世代を紡いでいく中で決してなくしてはならないものなのだ――――。

名木田の残した膨大でいささか偏執な資料は、一つの物語をまた違った魅力ある作品に仕上げているのである。

『赤い実はじけた』本編はこちら
http://s.maho.jp/book/e20955hd72ba3081/3767907001/1/



【マレーボネ】

創設の辞

見切り発車、と揶揄すればいい。

考えなし、なんて昔から言われ続けている。

 

とりあえず遊び場は完成した。

 

僕たちはいい大人だ。

いい大人の遊び場に、せせこましいルールや条例など必要無い、と考えている。

 

日々の発見を共有すればいい。

社会に対する愚痴も大いに結構。

創作短編を載せるのも勝手だ。

ポエムも存分に書け、笑ってやる。

昔みたいにゲームをやるのも自由。

政策提言もどんどんやればよい。

 

文末に署名を入れてもいい。

匿名でも問題ない。だいたい分かるし。

投稿の順番も特に取り決めない。

1日に何度書こうが、勝手にしてくれ。

文体もテーマも、各人の気分次第だ。

 

幼少期のチラ裏のように。

思春期の自由帳のように。

在りし日のmixiのように。

燻る思いの丈を、存分に書き綴るのだ。

 

文字の砂場でひとり遊びをしていれば

すぐに仲間がやってくる。

そのもれなくが、

ちょっと悪ノリの過ぎる社会不適合者だ。

なんの気兼ねもいらない。

 

遊び場は完成した。

 

 

【3号】