読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

soueggs’s diary

社会不適合者たちの駄文交換会

夜の底が桃色になった

1号

 

はなの下 春のしわざで 染まる頬

 

なんて臭い句でも詠みたくなるような季節がやって来たね。これは『季刊 メメント・モリ』に掲載された読者投稿の句なんだけど、解説者の評を引用すれば

これを詠んだ者は現代に蘇りし在原業平と呼んでも過言ではない。恋人未満の二人が花見を楽しんでいる情景がまず思い浮かぶ。周りには大勢の会社の仲間がいるのかもしれないが、作者はそんな騒音そっちのけで気になる人を見つめている。初句の「はなの下」は、「花の下」と「鼻の下」が掛詞になっている。桜の木の下で鼻の下を伸ばしている男の下心が窺うことができ、句全体に漂う初々しさに加え、「性」の匂いをほのかに醸し出すことに成功している。 「春のしわざで 染まる頬」の部分は、花見の席でのお酒によるものなのか、桜の色が頬にも反射しているのか、それとも恋心によるものなのか判然としない(または、すべてが原因かもしれない)頬の赤らみを、「春のしわざ」の一言に集約しているところに、作者の底力が感じられる。まるで春がイタズラをしているようだ。また頬を染めているのが作者なのか、それとも作者の恋している相手なのかを敢えて排しているところも評価◎。(『季刊 メメント・モリ』第21号 p104 リトルモヤモヤ社)

とさ。解説の熱量に正直ドン引きだし、在原業平は短歌の人だろ禿げなんて思った。詠んだ本人はきっとトイレでうんこでもしながら「あ、この句よさげ」なんてひらめいたに違いない。「すなわち、便所は宇宙である」なぁなんて、ジャックナイフみたいなことを思いながら、ブログを更新しているのは、わたくし1号だよ。どうぞよろしく。

 

さて、漠然とした不安なるものを9号とか3号とかが語っていたけど、私の最近感じた不安はというと「友達いない問題」である。年齢特有のものではないけど、3号の言葉を借りれば、「”かくあるべし”との乖離からくるもの」に分類していいと思う。本当にこんな風に過ごしていてよいのだろうかと思うときが稀によくある。

 

先日こんなことがあった。

行きつけのバーに入店した私は、いつものようにカウンター席に腰かけた。ボックス席の方に目をやるとグループが二つ。男女混合の同い年5人組グループ、同じく五人組同い年の女子会グループ。その光景を目にした私は「いいなぁ・・・」と、本当に意識の外で口に出してしまっていた。

私の心に深く突き刺さったのは「グループ」というよりもむしろ、「同い年」というワードである。not so much グループ as 同い年。同い年 rather than グループ。これ、入試に出るぞ~。同じ年齢の知り合いたちが酒を囲みわいわい楽しんでいる中、私は一人でカウンター席でコーヒーを啜る。いや~さびしかった~。厭世に拍車がかかった~。

 

また、SNSで「酔っぱらったけど、楽しかった!」みたいな花見の写真が、よくうpされているのを見て、「綺麗~」とかコメントしたり、「いいね」と♥を残したりしつつも、私の心はざわ…ざわざわ…とサメ肌なるわけです。でも本当は、(花見ができる友達がたくさんいて)いいね!!!!とか、酔っぱらった「けど」じゃねえ!酔っぱらった「から」楽しかったんだろ!!!とか、心が叫びたがってるんだ。

 

桜さえなければこんな思いしなくていいのに…桜さえなければ枕を濡らすこともないのに…桜さえなければ…

 

世の中に たえてさくらのなかりせば 春の心はのどけからまし

(『古今和歌集』)

 

【1号】