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soueggs’s diary

社会不適合者たちの駄文交換会

途中の文字が大きくなってて、直し方が分からなくて恥ずかしい

大学を卒業して6年が経つ。

「もうこんなに経つのか」と懐かしがるほど昔のことでもないが、「つい最近のことじゃんね」と一蹴するには大学については何も分からなくなっている。HUスタイルは廃刊になっているし、もみじだけでなく、いろは?それに文ロビには新しい椅子と新しい机が設置されて、白く清潔になってしまった。奥の書棚に乱雑に放置されていたCLAMPの『ツバサ』はどこかへ捨てられたのだろうか。
ああ文ロビ!懐かしい口の動き、ぶ、ん、ろ、び…。
しかし僕は文ロビになじみはなかった。
文ロビには楽しそうな人たちがいつもたくさんいた。楽しそうな人たちは、文ロビにいる誰かと必ず何かしらの知り合いみたいだった。彼らは風変わりなあだ名で呼びあって、大きな声で笑っていた。バイトをして、男女交際を目論み、洋服を買って、その洋服を着て、その上から赤や黒のジャンパーを着て、歯や舌を見せて笑っている、それら全てが僕は苦手だったのだ。
僕は醜く、髪の生え方や耳のしわの形からしてダサく、洋服を着るのが嫌いだったから、1年を通じて丸刈りで半裸だった。自分の顔にモザイクをかけるつもりで陰鬱そうな表情を貼り付けていた。当然のことながら、半裸で不機嫌そうな坊主の肉塊は誰からも相手にされなかった。
今なら「彼らが羨ましかった」と自分のダサさを受け止められるが、当時は嫉妬心や羞恥心や馬鹿にされているのではないかという不安感や孤独の悲しみが「憎しみ」になっていた。22歳のどんなに幼かったことだろう。とある小説家いわく、人間の感情の種類は年齢を重ねても大きな変化はなく、感情の表出方法こそが変化するとのことである。僕の感情の表れは子供のそれである。
憎しみを抱いている人間が文ロビに座って物欲しげに見ていても誰も声をかけてくれるはずもなく、悪循環が続くだけだというのに。
ある日、僕が誰かがやってくるのを文ロビで座って待っていたときのこと。
もちろん「誰か」なんてものはいない。抽象的な概念としての「誰か」。もうその日の授業は全て終わり、バイトへ行くもの、サークルに向かうもの、ただただ文ロビに座って話しているだけのもの、夕陽が差す中、いつものようにたくさんの人たちがいた。その中に、男女5、6人のグループがミスタードーナツの箱を抱えて誰かを待っていた。「ドーナツひとつあげるよ」と話しかけられないかな、と淡い期待を抱いていると、
「……ちゃん遅いね」「LL教室にいるくさい」「迎えに行く?」「あ、俺学生証今日忘れたけん連れてって」
と彼らは全員が連れ立って階段を上っていった。ベンチの上には鞄やマフラーや、そしてミスタードーナツが置かれたままである。
その瞬間、怒りで、そのままポロンと取れるのではないかと思うくらい頭に血が上って視界がユラユラした。
「たくさんの人がいる中ドーナツをベンチの上に残したまま席を外すなんて、①ドーナツのスペース分だけベンチに座れない人ができてしまうのに思慮が足りない②ドーナツに毒を盛られる心配をしないくらい周りを信頼している、その信頼感がなんかムカつく③信頼されるほどの関係でない僕が近くにいるのに放置するなんて僕がないものとして扱われたようでなんかムカつく」
と、今ははっきりと「言いがかり」と説明できるが、当時は彼らのその振る舞いが「自分たちはこの世界の主役である」と言っているように感じられ、煮え繰り返るはらわたをなだめることが難しかった。
結局僕は、彼らに「あなたたちは主役ではない」、そして「僕はここにいる」と教える意味も込めて、ミスタードーナツの箱を盗んで文ロビをあとにした。中のドーナツはフレンチクルーラーだけ食べてあとはぶどう池に捨てた。ポン・デ・リングは妙に耳に残る嫌な音を立てた。
 
またある日のこと、卒業を控えた4年の冬、文ロビに座っていると、背もたれを挟んで反対側に同級生2人が座った。同級生であるものの、もちろん会話を交わしたことはなく、あだ名をなんとなく知っている程度の認識しかこちらにはない。文ロビには僕たち3人しかおらず、「こんなに近くに座るなんて、僕が見えていないのではないか?」と戸惑いもあったが、近くに人がいると僕にも友達ができたようであたたかな気持ちも同時に抱いた。
彼らは「最高の死に方」について話をしていた。
「俺が死んだら世界が少し良くなって欲しい」
「例えば?景気が良くなるとか?」
「ううん、もっと些細なことでいい。付けっ放しになってた電気が消えるとか」
「テレビのチャンネルが変わるとか?」
僕はどうして彼らと友達じゃないんだろうか、くだらないけど楽しい会話のできる彼らの背後にいるのに一言も声をかけられずに黙って「誰か」を待ち続けるのはなぜなのか、僕の過ごした4年間はどこでなにをどう誤った結果だったのだろうか、と猛烈に後悔をして泣きそうになった。実際に泣いたのか、覚えてない。おそらく自分の部屋に帰って泣いたと思う。泣いてないかな。なんか泣いてない気がしてきた。でも後悔はすごくした。
 
僕の中にある文ロビのエピソードはこの2つくらいしかないが、6年が経ってもいまだに心にとどまっている。
6年。
大学を卒業して6年が経って、彼らはどうしているのだろうか。大きな地震がいくつかあったけど息災でしたか?結婚をしましたか?転職などしましたか?6年は長かったですか?あっというまでしたか? それらを知る方法が僕にはひとつもない。
思わず書いてみたものの、この日記のオチの付け方が分からない。というかブログ勝手に書いてごめんなさい。